青柳について

肥後料理とは


水の都として知られる熊本は、肥沃な大地に育まれた果実や野菜の特産地。有明海、天草灘でとれる新鮮な魚介類にも恵まれ、古くから独自の食文化が発展してきました。

特に熊本市では、熊本で古くから栽培されてきたものや、食文化に関わるもの、地名や歴史に因むものなど15品目を「ひご野菜」(※)として指定し、熊本内外に広く知ってもらおうという取り組みを行っています。

青柳では、熊本城本丸御殿において、江戸時代の肥後藩の復刻料理「本丸御膳」(本丸御膳Pにリンク)をご提供し、肥後藩の食文化を継承しています。

※ひご野菜
熊本京菜、水前寺もやし、熊本長にんじん、ひともじ、ずいき、れんこん、水前寺菜、春日ぼうぶら、芋の芽、熊本赤なす、熊本ねぎ、水前寺せり、熊本いんげん、熊本黒皮かぼちゃ、水前寺のり

馬刺し

馬刺し

約400年前、加藤清正公が朝鮮出兵の際、陣中で馬肉を食べたのが始まりといわれています。武将たちが好んで食べたらしく、熊本では薬膳料理としても親しまれてきました。

桜肉と呼ばれる所以は諸説あり、肉が美しい桜色をしていることに由来しているともいわれています。


辛子れんこん

辛子れんこん

寛永(1624〜1644年)の頃、病弱だった細川家三代目藩主忠利公のために、水前寺の玄宅和尚が考案したのがはじまりと伝えられています。

阿蘇の火山灰を流す白川流域のれんこんが、質もよく増血精力剤としても卓効があることを知り、料理法を苦心したとか。当時まだ珍しかった天麩羅は、油が精製されていなかったためか「のぼせる」とされていたため、それを防ぐために辛子のみそを詰めたのだそう。衣に卵黄を入れて揚げてみたところ、その断面は細川家の家紋にも似ており、大変お気に召していただけたのだとか。

明治維新までは門外不出とされましたが、現在では酒の肴、お弁当のお菜、お茶請けとして広く庶民に親しまれています。

青柳の辛子れんこんは、辛みを抑えて、れんこんの旨味も味わえる絶妙なバランスに仕上げています。


ひともじのぐるぐる

ひともじのぐるぐる

天明二年(1782)、当時の肥後藩主・細川重賢公により、藩の財政を建て直すため節約に徹する節倹会が出されました。特に贅沢品とされていた酒の肴として、手に入りやすかったひともじ(ねぎ)を使った肴が考案されたのがはじまりとか。

名もない素朴な料理、藩主に料理名を尋ねられて困った家臣がとっさに答えたのが、そのまま呼び名になったとか。(名前の由来は諸説あり)


だご汁

だご汁

"だご"とは熊本弁で"団子"のこと。小麦粉を練ってちぎった平らな団子を、野菜などと共にみそ仕立ての汁で煮た料理です。農作業に忙しい農家の人々が、気軽に食べられ、しかも腹持ちが良いとしてつくられたのが始まりだとか。だご汁は同じ熊本県内でも、山手の方では根菜など山の具材が用いられ、海手の方では魚介類が入れられるなど、各地域の食材をいかした味わいも愉しみのひとつです。